上柳 四明 うわやなぎ しめい
   

64.2p×28.3p

正徳元年(1711)9月17日生〜寛政2年(1790)7月29日歿
 京都出身。諱は美啓(晩年は啓)、字は公通・公美、四明と号し、通称は治兵衛、別号に士名。上柳浄頓の次男だが、長男が夭折したため家督を継いだ。上柳牧斎(本居宣長の学友)の父。
 向井滄洲(木下順庵の木門十哲の一人)に学ぶ。豊前小倉藩(福岡県)に使え、宝暦8年藩校思永斎の助教となった。
 あっさりとして欲の少ない性格で、人と競うことを好まず、その学問姿勢は自ら楽しみ、周囲の人たちにその学識を広めようとはしなかった。そのため世間では四明を知る人は少なかったという。
 著作に「孟子贅」「蘊古堂詩稿」「尺牘活套」などがある。
 「四明叟啓」の左に、朱文の「啓」、白文の「公通」の落款印が押されている。

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